B'z(ビーズ)は、松本孝弘、稲葉浩志の2人で構成される日本の音楽ユニット[1][2]。ビーイング傘下のレーベル、VERMILLION RECORDSに所属。公式ファンクラブ名は「B'z PARTY」である。 マンスリーマンション 1 メンバー 2 サポートメンバー 2.1 元サポートメンバー 2.2 その他サポートメンバー 3 来歴 3.1 結成前?デビュー 3.2 結成後?現在 4 概要 4.1 ユニット名の由来 4.2 音楽方向性 4.3 音楽活動 4.3.1 作詞・作曲 4.3.2 リリース 4.3.3 LIVE-GYM 4.3.4 2nd beat 4.3.5 B+U+M 4.3.6 Z'b 4.4 メディアへの露出 4.5 ファン 4.6 『Flash Back-B'z Early Special Titles-』における権利問題 5 評価 5.1 なぜ売れるのか 5.2 パクリ問題 5.3 「ハリウッド・ロックウォーク」への殿堂入り 6 主な記録 6.1 オリコン 6.2 日本レコード協会 6.3 その他 7 受賞歴 8 ディスコグラフィ 8.1 シングル 8.2 オリジナルアルバム 8.3 ミニアルバム 8.4 ベストアルバム 8.5 カラオケアルバム 8.6 ボックスセット 8.7 非公式ベストアルバム 8.8 映像作品 8.9 海外販売作品 8.10 カバー曲 8.11 未音源化作品 9 公演一覧 10 書籍 10.1 バンドスコア、楽譜 10.2 写真集 10.3 その他 11 タイアップ一覧 12 関連人物・グループ 13 関連項目 14 参考文献・出典 15 外部リンク 津田沼一戸建て メンバー 人名 パート(ライブ) パート(レコーディング) 松本孝弘 (まつもと たかひろ) ギター ギター 作曲 編曲 音楽プロデューサー 稲葉浩志 (いなば こうし) ボーカル ボーカル 作詞 編曲 不動産担保ローン サポートメンバー 人名 パート(ライブ) パート(レコーディング) 在籍期間(ライブのみ) 増田隆宣 キーボード 現在は不参加 1992年 - 1997年 1999年 - シェーン・ガラース(Shane Gaalaas) ドラム ドラム パーカッション 2002年 - バリー・スパークス(Barry Sparks) ベース 不定期参加 2003年 2008年 徳永暁人(from doa) ベース ベース コーラス(一部担当) 編曲 1998年 2003年 - 2007年 大田紳一郎(from doa) ボーカル ギター コーラス(一部担当) 2003年 - 畠山勝紀 ギター・テック ギター・テック 1991年 - 武蔵野マンション 元サポートメンバー 人名 パート 在籍期間(ライブのみ) 明石昌夫 ベース マニピュレート 1989年 - 1997年 満園庄太郎 ビリー・シーン(Billy Sheehan) ベース 1999年 - 2001年 2002年 阿部薫 田中一光 デニー・フォンハイザー(Denny Fongheiser) 黒瀬蛙一 ドラム 1989年 - 1990年 1990年 - 1994年 1995年 - 1997年 1998年 - 2001年 広本葉子 大島康祐 キーボード 1989年 - 1992年 1998年 高原裕枝 中村優子 コーラス 1992年 澤野博敬 澤田秀浩 トランペット 1993年 野村裕幸 トロンボーン 1993年 吉田じゅんべい サクソフォーン 1993年 武蔵野タワーズ その他サポートメンバー 人名 パート 在籍期間 山口昌人 ドラム テレビ出演時(シェーンが来日していない時のみ。) $pyke(Hazuki Kido) ベース テレビ出演時(SUPER LOVE SONG) GO (from SUNSOWL) ドラム テレビ出演時2007年 - 湘南 不動産 来歴 結成前?デビュー 1987年、音楽制作会社ビーイングに所属し、浜田麻里やTM NETWORKなどのツアーサポートやスタジオ・ミュージシャンとして活動していた[1]ギタリストの松本が、自身のバンドデビューを目指し、あるボーカリストとバンドを組む事を音楽雑誌で公表した。しかし、そのボーカリストとデビューする事はなかった[3]。 1988年5月、自身のバンドを結成する為にボーカリストを探していた松本はビーイング社長で音楽プロデューサーでもあった長戸大幸から1本のデモテープを渡される。そのデモテープには学生時代の稲葉が、T-ボーン・ウォーカーの「T-BORN SHUFFLE」、レッド・ツェッペリンの「YOU SHOOK ME」、ビリー・ジョエルの「Honesty」を歌ったものが録音されていた[4]。長戸はB'z結成の2、3年前から「稲葉を何とかしたい、早くデビューさせたい」と事あるごとに言い続けていたという[5]。 長戸を介し2人は曲をあわせる約束を交わす。(しかし松本は、「デモも聞いたし、写真も見たし、(稲葉と会う前から)自分は心が決まっていた」と後日語っている[6]。)翌日「SOUND JOAKER」という小さなスタジオで初顔合わせした2人は、ビートルズの「Let It Be」、「Oh! Darling」の2曲をセッションする[4][7]。しかし、機材の故障により結局その日は2曲しかセッションが出来ず、その場はお開きとなった。後日再び会ったときには、なぜかすでにデビューへ向けての活動が始まっていたという[4]。その後、2人はユニット『B'z』を結成、1988年9月21日にシングル「だからその手を離して」、アルバム「B'z」の同時リリースでデビューした。 逗子 不動産 B'z結成時はお互い(特に稲葉)の合意が形成されないままデビューへの話が進んだらしく、稲葉は結成当時について「振り返ってみれば、これまで松本さんから『一緒にバンドをやろう!』とはっきり口にして言われたことは一度もない」と、1993年に敢行されたライブツアー『LIVE-GYM '93 "RUN"』でのMCで冗談めかしながら語ったことがあり[8]、他のインタビューでも同様の内容のエピソードを語ることがある。ただし上記のライブMCで「そういえば言っていないな」ということで、稲葉が「一緒にやろう!」と言った事もある。 松本はデビュー時から明確なビジョンを持って制作に当たっており、稲葉と初対面した際に「『オリコン』の(1位?50位までが掲載されている)左ページに載らなければいけない」という目標を話したり、アルバムを3枚リリースするまでにヒット作品を作るという「三ヵ年計画」を力説したりしていたという[9]。また、最終的にB'zが当時としては珍しい2人組のユニット[10]という形式になったことについて松本は「最初のうちは他のメンバーも探すつもりだったが、2人でデモテープを作っているうちに「2人でもいい」と思うようになり、2人でいこうということになった」とのこと[6]。 初期のB'zのプロデューサーは中島正雄である。B'zがブレイクした後も中島はスーパーバイザーという肩書きで指揮していた。 結成後?現在 デビュー当時はTM NETWORKのツアーにくっつける形でキャンペーン行うなど、地道な活動を続けていた[1]。しかし、デビュー作は全く売れずオリコンチャート100位以内にも入らないなど、デビューからしばらくは苦戦が続いた。ブレイクのきっかけは1989年にリリースしたミニアルバム『BAD COMMUNICATION』である。このミニアルバムに収録された同名の曲が、タイアップの効果もあり有線で注目され始め、オリコンチャート10位以内には入らなかったものの163週ランクインするというロングヒットを記録。1990年リリースの4thシングル『BE THERE』で初のトップ10入り、そして同年リリースの5thシングル『太陽のKomachi Angel』が初のオリコンチャート1位を記録しブレイクを果たす。 ブレイク以降から現在にかけて、シングル連続初登場首位獲得数やアーティスト・トータル・セールスを始めとする日本音楽界における多くの記録を樹立(記録の詳細は後述)、『日本が誇るロックユニット』と呼ばれるまでに人気を博す[2]。そして、2007年9月21日に結成20周年目に突入したB'zは、ロックンロール・音楽界に貢献したアーティストを讃える「ハリウッド・ロックウォーク」へ殿堂入りとなった。日本・アジア圏のミュージシャンで選ばれたのはB'zが初となる(殿堂入りの詳細は後述)。 概要 ユニット名の由来 ユニット名の由来については諸説ある。これは、ユニット名の由来についてメンバーが発言した内容にばらつきがあるためである。そのため、現在でも正式な由来は曖昧なままになっている。 以下は雑誌や会報のインタビュー等においてユニット名の由来を尋ねられた際の、メンバーの主な回答である 結成当初、最初にユニット名として書かれていたのは『松本バンド A'z(アズ)』という名前であった。しかし、当時の世相で「A'z(アズ)≒エイズ(AIDS)」ともとられる可能性があることに気付き「その名前はまずいだろう」ということになり、「"A"の次は"B"だろう」ということで『B'z』とした。その後、「B」から始まる名前のバンドは、非常に力強いバンド(「ビートルズ等)が多いことが分かり、また「『B'z』だと憶えやすそう」という意見もあり、現在の名前となった[9]。 『僕らの音楽』(フジテレビ系列)2005年3月26日放送回で、稲葉は「『A?Zのすべてを包括する』という意味で『A'z』としようとした。でも発音がまずいので、Aの次にあるBを使って『B'z』にした。」と発言した。 3rdアルバム『BREAK THROUGH』のバンドスコアでは、メンバーは「何か記号的、かっこいいものにしたかった」とコメントしており、企業のロゴのように意匠化しやすいイメージで名前を付けたとしている[11]。 松本がパーソナリティを務めたTOKYO FM『BEAT ZONE』の中で「『蜂の群れ(Beeの複数形)』でB'z」との発言をした。(1995年頃は17thシングル「love me, I love you」やLIVE-GYMで使うロゴマークに蜂の腹部を模したものを使用していた) 1989年の会報で松本は、「終わりにZをつけるのが最初に決まって、スタッフと考えた結果『B'z』になった」と語っている[12]。 『エースが2人』で『A'z』だという案もあったが、発音しにくいので最終的に『B'z』に落ち着いた[8]。